今日もまた

不安定な空模様で、訳の分からない毎日である。
大風、ひょう、雷、あちこちで起きている異変は、
今後更にひどくなるに違いない。
「原発」裁判結果が出た。
原告の女性は、
「すべてを失っても惜しくない。
それが亡夫の意思だった」
と述べていたが、
まねのできないことだと思う。
自分だけで済まないとすれば、
避けて通りたくなるのが普通の人情だろう。
普通に考えれば、
原発は出口がないので、
先に持って行きようがないことは明白だ。
それを科学の力で何とかなると楽観してることこそ、
非科学的なのだ。
おそらく最高裁では違う結果かもしれない。
それでも、皆が気づけば可能性はまだあるに違いない。

今、タガログ語の演歌を聞いている。
「悲恋を歌うフィリッピーナ」ラブソング集。
日本語でないが、まさしく演歌である。
歌詞カードがないので意味は全く分からないが、
英語題から想像することはできる。
オペラもそうだが、意味が分からずとも口調で雰囲気を感じるので、
同じことだろう。
自分はそんな低次元な聴き方をしている。画像

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この記事へのコメント

venus3
2015年04月17日 12:07
歌声も楽器の一部だと思えば、言葉が判らなくても理解できるのが音楽なのでしょうね。
歌声でも、うれしい音、悲しい音は感じられるのでしょう。
MEISAN
2015年04月17日 12:58
「原発再稼働」に関する判決は、地裁とは言え、司法の行政からの独立を示したいい事例だと思います。
近頃、行政によるマスコミや教育などへの干渉が顕著になって来ている事を危惧しているところです。
godor
2015年04月17日 21:31
>venus3さん
表現力というのでしょうか。
雰囲気というものが感じられます。
意味は分からなくても言葉は面白いです。

>MEISANさん
このまま守りkれるかどうか。
建前だけでなく、中味を保障するのが本当の力でしょう。
自分が生きているうちに、
憲法も変わる可能性が大です。
どんなものでしょう。

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